修行(雲水の生活)

叢林−鬼と姫と
そうりん

 僧堂のことを正式には専門道場、また叢林ともいう。雲水たちは京都の僧堂を京叢林、地方の専門道場を江湖(ごうこ)叢林という。江湖という呼称の由来は、遠く唐代に発し、江西、湖南など禅の盛んであった地方の総称のことである。
 林には多くの樹木が群れ立ち、幹が曲がったり、不必要な枝の伸びたりする余地はない。木がただまっすぐに天に向かって伸びていくように、大勢の修行者が一カ所に安居(あんご)して、相互に切磋琢磨し、共通の悲願に向かって、ただ驀直(まくじき…まっしぐら)に進む状態を表現して叢林というのである。
 叢林では今も仏陀の古制をそのままに、安居結制(あんごけっせい…禁足して坐禅すること)される。前半年を雨安居(うあんご)、後半年を雪安居(せつあんご)という。
特に安居中のその前半の九十日間は、たとえ親や師匠の大事にあっても、簡単には暫暇(ざんか…暇をとって帰郷すること)は許されない。師親の死にあっても、一段と生彩をつけて参禅弁道(修行)することこそ、師親に対する報恩であると、健気にも非情な決意と心意気を示した修行者もいる。
 叢林ほど規矩ずくめのところはないが、その規矩を体験実行することで禅僧としての人格が形成されてゆく。僧堂こそ真に宗門の最高の学府である。
 峻厳な室内、厳正な規矩、つねに活気あふれる僧堂は鬼叢林(おにそうりん)と呼ばれるが、これとは反対の僧堂を姫叢林(ひめそうりん)とか茶屋叢林(ちゃやそうりん)などと呼び、ズバリと蔑称していておもしろい。
 開悟解脱(かいごげだつ)の願心ももたず、いたずらに線香のとぼる数をかぞえるのは、さながら芸妓や舞妓が玉(花代)を一本、二本と線香の燃える時間でかぞえる待合や料亭に似ていると揶揄したのであろう。